ゲランドの塩を取り巻く状況
海塩への嗜好はここ数年、世界的に拡がりつつあります。日本におきましても、1997年4月に旧来の『塩専売法』が廃止され、それに伴って塩事業法が施工されました。
この規制緩和によって、食用としての塩の輸入が可能になりました。弊社におきましては、それ以前からタラソテラピー(海洋療法)関連の化粧品を輸入しており、ゲランドの塩を使用した浴用化粧品として既に輸入していました。その実績を踏まえて弊社では、同年4月に食用としての『ゲランドの塩(PALUDIER/パリュディエ)』を輸入し、日本のマーケットの中ではトップを走って販売を開始しました。
その後、ゲランド地方の伝統的な製塩を質・量ともに守り続けて行くと言うスタンスに共感し、取り扱いブランドを『ゲランドの塩生産者組合』の製品へ変更して日本に紹介し続けています。
フランス ゲランドの塩の歴史的背景
『GILDAS BURON 著』:ゲランド塩田博物館発行
Bretagne dex Marais Salants -2000 ans d'histoire-』 によると、塩田による製塩法は、およそ9世紀頃に確立されたと言われています。ただ、それ以前の古い塩田に関する文献が現存していないため、定かではありません。
塩田ではなく『煎熬(せんごう)』と言われる手法・・つまり『海水を煮詰める方法』は、それ以前から行なわれていたようです。この事は、製塩所の遺跡が存在することから検証されています。
地元の人々の間に伝わる伝承で、『塩田に必要不可欠な技術』である
塩田に微妙な傾斜を付け、常に海水が流れるようにする
という技術は、『ケルト民族の司祭(僧侶)の指導によって作り出された』と言われています。このような技術は、現代の測量技術を持ってしても非常に難しいことなのです。
ゲランドの塩の製造方法については、『ゲランドの塩』…その製造方法で詳しく紹介させて頂いております。ぜひご覧下さい。
16~18世紀にかけて、大変な発展をしました。例えば17世紀には『塩職人(パリュディエ)』が7000人。生産高は30000tを越えていました
しかし1900年代に入ってから、一気に衰退しました。その理由として『大量生産方式』の塩の普及が考えられます。1922年には、塩職人の数は200人を切ってしまいました。
その後『塩田復興運動』により
などが行なわれ、世界的なオーガニック、エコロジーという背景も加わって、現在の塩職人の数は約250名となり、生産量は、8000t~10000t(平年)にまで復活しました。
ゲランドの塩の現状と問題点
ゲランドの塩生産者組合
古来、ゲランドの塩の生産には『パリュディエ(塩職人)』が携わってきました。ゲランドには現在220名のパリュディエがいてその3分の2が『ゲランドの塩生産者組合(連合)』の組合員です。
シャルル・ペロー氏(向かって右)
日本における『地理的表示法』施行記念 討論会にて
生産者組合の塩の生産量は平年7~8000tですが、年によってはかなりの差が出ることを考慮して、組合では常に3年分の備蓄を確保しています。
1999年のタンカー事故から塩田と塩の品質を守る為、実害はありませんでしたが、組合員全員の判断で2000年は塩の採取を一年間中止しました。
ゲランドの塩生産者組合の生産しているゲランドの塩は、『ナチュール エ プログレ(ヨーロッパ農業衛生連盟)』認定のオーガニック商品で、真正なゲランドの塩であり、PGI(原産地名称保護制度)に認定されています。
インデペンデント(非組合員)
また、この他のパリュディエ達によって年間2000~3000tのゲランドの塩が生産されていますが、これは『ブルディック社』によって統合されています。ブルディック社は、1996年に超大企業である『サラン デュ ミイディ社』によって買収されました。
同社の所有するブランド名としては、以下のものがあります。
サラン デュ ミイディ社のブランドには、他にも以下のようなものがあります。
日本の商社が取り扱っていますが、『フルール ド セル』という呼称に関してゲランドの塩生産者組合と係争がありました。『フルール ド セル』は、本来ゲランドの特産品です。しかし、地中海地方産の『カマルグ(サラン デュ ミイディ社)』が『フルール ド セル』という呼称を商標として所有していたが為、『ゲランド産』のフルール ド セルがその名を名乗れなくなってしまったのです。
『地中海産の塩が“フルール ド セル”を名乗る』 。それに対して異論を唱えるべく、生産者組合は『カマルグ(サラン デュ ミイディ社)』を相手取って訴訟を起こしました。そして、2000年になってようやく『組合側も“フルール ド セル”を名乗れる』 という裁判の結果に至りました。が、『ゲランド固有の呼称』に商標権が発生すること自体、疑問を感じざるを得ません。
その他のブランド
日本の『JTの塩』に準じたもので、大量生産商品です。また、サラン デュ ミイディ社には、アメリカの大企業で主に岩塩を取り扱っている『モルトン社』が資本参加しており、その発言力には強いものがあります。
サラン デュ ミイディ社は、工業用塩の大メーカーです。同社は、「スペイン」「ポルトガル」から海塩の原塩を輸入していますが、この輸入塩や、『カマルグ』で生産された大量生産塩を『ゲランドで袋詰している疑いがある』との組合の指摘によって、98年にフランスのマスコミにも度々大きく報道されました。
消費者はだまされ、塩職人は脅かされている(1998年 組合からのアピール NAC訳)
ゲランドの塩の現状と問題点
ゲランドの塩職人たちは、伝統にのっとってまさに「手塩にかけて」作り出 した彼らの塩が、きちんと評価されることを願って、近年においても、さま ざまな活動を行ってきました。
「消費者はだまされ、塩職人は脅かされている」
サラン・デュ・ミディ
98年に出された『ゲランドの塩職人たち』からのアピール
ゲランドの塩職人たちは、20年以上も前から、経済的、社会的回復のため闘いを繰り広げています。
⇒特に次のようなことを行ってきました。
困難な時を経て、今ではその結果が得られるようになりました。我々の製品の品質は認められています。職業としての存続も見込めるようになり、ゲランドの塩の関連産業も整い雇用も生み出しています。これらの事はどれも、塩職人達の協同組合である『塩生産者組合(GPS)』の加盟者の努力のおかげなくしては、可能にはなりませんでした。
これからのゲランドの塩は、消費者にとって今までよりも手に入りやすいものになりました。ひとつのラインから色々な商品(様々なタイプの"グロセル"や"フルール ド セル")を選べますし品質も保証されています。(特に"ラベル ルージュ")
この間、大製造会社、長い間ゲランドの塩の主な仲買商(ネゴシアン)であった『サラン デュ ミイディ』では、ゲランドの塩には将来性がないと考えこのような方針に参画する事を拒み、自分たちの職業の活性化をはかろうとしている塩職人達の努力を軽蔑を持って眺めていました。
しかし、1994年から95年頃になって、『地方農産物の塩』はゲランドの塩職人たちによる闘いのおかげで、発展一途の市場であることにサラン デュ ミイディも気付き、自分たちだけの利益のためにこの市場を取り戻そうと決め、ゲランドの塩職人に対して次々と攻撃を仕掛けてきたのです。
サラン デュ ミイディは、自社で販売している製品の性質や産地を、故意に不透明のままにしています。なぜなら彼らは、工業生産による塩の販売を伸ばすために『地方農産』というイメージを取り戻したがっているからなのです。
消費者の皆さん、用心してください。「Batzで袋詰め」された産地の不確かな塩ではなく、確かにゲランドの塩を購入しているのかどうか確認してください。ゲランドの『グロ セル』も『フルール ド セル』も独特なものです。それは認めていただけると思います。
私たちは市民としても皆様に呼びかけます。塩職人という職業や塩田地は、色々な意味で地域住民の豊かさの源なのです。
どうぞ警戒を怠りなく!
消費者と塩職人が連帯しましょう!
─ ゲランド半島及びメス地域の塩職人と塩田の擁護組合 ─ 1998年 NAC訳
日本の塩の現状と問題点
日本の塩は、その製法によって3つに分けることができます。
<1>輸入原塩を利用したもの
中国・オーストラリア・メキシコなどから輸入した原塩と言われる粗製の塩を、一度溶かして高温で再結晶させたもので、『準自然塩』『再生自然塩』とも言うべきものです。
日本の『自然塩』『天日塩』と称するものの、ほとんどがこれに該当します。
<2>自然に近い塩
日本の海水から作った濃い海水『かん水』を火にかけて、煮詰めて作る塩です。一部には自然乾燥したものもありますがその量はごくわずかで、さらに非常に高価です。
<3>JT塩
いわゆる『イオン交換膜式製法』の塩で、安価大量に生産され主として工業用に用いられるものです。年間生産量900万tのうち、86%が工業用、11%が食品用、3%が家庭用です。
塩化ナトリウム(NaCl)が99%を越えるものです。
日本の塩の種類が増えたことは良い事ですが、その製法が『熱処理』あるいは『加工処理』を加えていることから、地球的規模で問題になっている二酸化炭素の排出による地球温暖化など、エコロジー的視点から考えれば問題があると思われます。
さらに、『自然塩』あるいは『天然塩』という表示にも、問題がある製品が多いと言えます。